
~前回のあらすじ~
写真専門学校に通う友人の制作展を見に行って
とても刺激を受けたパンダさん。
かつて自身が挫折した写真表現について
考えてみようと思うのだった…。
写真表現について考える①~作品に至るまでの過程こそがアート~ | パンダさんのブログ
私がまだ、本格的に音楽を始める前のこと。
生まれ育った大阪で就職して、仕事づけの日々が続いていた13年前、30歳。
その頃は仕事終わりに同僚と飲みに行ったり、甲子園までタイガースの応援に行ったり(スタンドで飲むビール目的…)、好きなアーティストのライブに行ったり、休日に買い物やヨガやマラソンをしたり、夜な夜なアニメを見たりして、仕事で疲れた心をリフレッシュしていた。
Facebookにあげるのは、だいたいいつもビールの写真。仕事はしんどかったが、プライベートはそれなりに楽しかった。

しかし、なんだか物足りなかった。

私、ずっとこんな感じで歳をとっていくのかしら…

気分転換になるし仲のいい同僚もできたが、今やっていることは全て受け見的だと感じた。
飲み会や買い物や野球観戦やライブやアニメは、創り出してくれる人達がいて、私はただ消費しているだけ。ヨガやマラソンは、自分のためだけにやっているだけだ。もちろんそれが悪いわけではない。消費も大事な活動だし、人とのつながりもできるし、好きなことに熱中できるのはいいことだし、推し活もパワーを創り出していると言える。しかし私はもっと、
自分から何かを発信できるような人
になりたいんじゃないの?と思い悩んでいた。

しかし、何がやりたいかも分からなかったし、性格上前に出て声を上げるタイプでもなかったし、会社の仕事でそれができていればよかったが、そんなスキルや気持ちも足りていなかった。
そんな頃、以前から興味のあったカメラを学んでみようと思い、当時宝塚にあった「写真表現大学」の門をたたいた(現在は大阪の茨木市に移転)。

大学と言っても、土日を活用した社会人向けの写真スクールである。
私は中学の頃からスナップ写真を撮るのが好きで、コンパクトカメラでよく撮っていたが、やはり一眼レフに憧れがあった。
一眼レフでカッコいい写真撮ってみたい…♪

そんな気持ちでまず申し込んだのが、全10回の初心者コース。現在はもうないようだが、他のコースと比べて費用が安く、手軽に始められた。
【第1期プレ・フォトスクール】
- 受講期間:2011年11月~2012年3月 全10回
- 概要:写真に興味があるけど何から始めたらよいか分からない人向けのコース
- 内容:カメラの基本、屋外撮影、カラー暗室プリント体験、プリント体験、講師による公表、額装、ギャラリー展示
講師に勧めてもらったデジタル一眼レフを購入し、絞りやシャッタースピードなど、カメラの基礎を学んだ。背景がボケるのが楽しくて、下手なりに気楽にいろんな写真を撮った。





そんな講座で私が一番衝撃を受けたのは、写真撮影の技術ではなく、
写真作品で自分の思いを表現することができる
ということだった。
自分にとって写真は、目に映るキレイなものや楽しい時間を切り取っておくためのものでしかなかった。携帯やスマホで普段撮る写真も、多くはそういったものだろう。美しさを追求した風景写真も、家族のポートレートも、1枚1枚は恐らくそういう意味合いが強いと思う。
しかし、写真を意図的に複数枚並べることで、撮った人の意図や考え・思いを表現できる作品になるというのだ。
目からウロコ!

求めていたのはこれや!
写真表現や!
その頃紹介された写真作品の中で印象的だったのが、澤田知子さんという写真家の、証明写真の機械を用いたセルフポートレートの作品だった。本人が化粧や髪型、服装を変えて、様々な人物に扮して写っている作品だが、1人のはずなのに何百人がいるように見えて、その人をその人たらしめているものとは何か?ということを考えたりした。しかも、自分のカメラで撮ったものですらないのもおもしろい。

いきなり社会的な意味を持つものができるとは思わなかったが、とにかく私はずっと何かを、自分の中の何かを、表現したかったのかもしれない。
そんなわけで私は、写真表現の道に入っていったのである。

全10回の初心者コースでは、講座の最後に展示をすることができた。写真表現大学には他に1年間のコースやプロカメラマンコースもあるので、その人たちと合同で街のギャラリーで展示をするのである。
私が展示したのは、この作品だ。このコースではキャプションをつけない展示方法だったようで、タイトルが記録にないのだが、たしか「キボウノヒカリ」と名付けたと思う。

これらはすべて、夜中に近所の公園や道で撮った写真である。夜中の電灯と、電灯に照らされてぼんやり浮かび上がる物体に、妙に惹かれた。以前から夜の灯りには惹かれたが、まさか作品にまでするとは、以前の自分は思っていなかった。しかし、なぜ自分はこれを撮って作品にするのかを、うまく言葉で説明することができなかった。
今、この作品を客観的に読み取ってみようと思う。



- 1枚目と2枚目は公園の写真だが、最後は家?公園を通って家に帰ってきたのか?
- 目線は大人の高さくらい
- 灯り以外がとても暗い。暗闇に現れる光
- 暗闇の中の光に希望を見出したのか?
なんとなく、大人になり切れない子どものような自分、子どもが夜中に出歩いているような不安感を覚えた。ところどころに灯りはあるが、一部分をぼんやりとしか照らしてくれない。結局、たくさん人が住んでいる家に帰ってきて安心したい、という幼い気持ち。そのくせ集団の中の孤独を感じ、暗闇の中のかすかな光を頼りにしている。
世間にこういう思いを届けたいというより、当時の自分自身を投影したような作品だ。

ちなみに3枚目の駐輪場は、自宅ではないマンションの駐輪場なので、家に帰ってきた感じを出すつもりはなかったが、客観的に見るとそう感じられた。当時は、自分の作品を客観的に考える余裕もなかったのだろう。
そんなわけで、写真表現をもっと続けたいと思い、全10回のコースを修了した翌年度、私は1年間の本科コースで学ぶことを決意した!
【第24期 写真表現大学 本科】
- 受講期間:2012年4月~2013年3月 隔週日曜
- 概要:テーマを持って作品制作を進めていくコース
- 内容:撮影の基礎、映蔵史、ライティング(静物、人物)、特別講師による特別講義、作品制作、作品の合評、ギャラリー展示

次回は、本科コースでの作品制作について深掘りしようと思う。
このシリーズ、思いのほか長くなってきた!

写真表現について考える③~何が表現したいのかが分からない~ | パンダさんのブログ

コメント