写真表現について考える④~人に気づかされた自分の思い~

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~前回のあらすじ~
写真表現大学の本科に通い始めたパンダさん。
夜道の写真で制作を進めていたが、何を表現したいのか分からない…。
そしてついに、授業を逃げ出した!

写真表現について考える③~何を表現したいのか分からない~ | パンダさんのブログ

写真表現大学 & Eスクール | 関西・大阪の写真学校 & 映像学校 & 写真スク〜ル & DTMスクール
写真表現やデザインを学べる写真学校/写真スクール「写真表現大学」&「Eスクール」(映像学校 & DTMスクール)は、社会人・シニア・大学生が週末に(月2回〜)本格的・体系的に学べる総合メディアスクール(Eスクール前身はIMI大学院スクール)です。関西のどこからでもアクセスしやすい大阪府茨木市にあります。クリエイティブな...

【第24期 写真表現大学 本科】

  • 受講期間:2012年4月~2013年3月 隔週日曜
  • 概要:テーマを持って作品制作を進めていくコース
  • 内容:撮影の基礎、映蔵史、ライティング(静物、人物)、特別講師による特別講義、作品制作、作品の合評、ギャラリー展示

特別講師による作品講評の授業をサボってしまったのは、夜道を撮ることで「何を表現したいのか」が分からず、自身の作品説明ができないことを恥じたからだった。成長するには、格好悪くてもあがいて、その道のプロにアドバイスをもらう方がよいのは頭では分かっている。それができなかったのは私の弱点であり、それは正直今も変わっていない。

へこんできたパンダさん

しかし、ほかの授業には行って、作品制作をなんとか進めた。ある時、常駐講師による作品講評の際に、「撮れないならもう作品としてまとめちゃえばいいやん」と言われ、私も「もう撮らない宣言」を他の受講生の前でしたこともあった。

パンダ自慢げ(ぺぺーん)
もう撮りましぇん!!

しかしその後、夜中に2回撮りに行くことができた。結果、修了作品8枚のうち3枚は、その時の2回の撮影のものが入ることになった。

ちなみに受講生の一人から、「家に飾りたいかどうかも大事じゃないか」と言われたこともある。こんな暗闇の写真では気分が上がらないので、もっとキレイな写真にすべきだ、というのである。
もちろん、作品にはそういった面があるのも理解する。ただ、当時はどうしてもこのテーマで表現したかったし、自分を救うのが主目的だったので仕方がない。

そしてでき上がった作品は、以下である。タイトルは孤独な光という造語の「孤光」

孤光って感じ…!(テキトーなパンダさん)

展示した様子は下の通り。サイズはA2を8枚、額装を含めると結構大きめの作品だ。

会場のライトが反射してしまうものの、黒が締まって見えるという艶あり印画紙にプリント。額装は黒で統一し闇を表現。
パンダ探す(ぬーん)
見ている人の顔が映りこむのもおもしろい…?

そして私はこの修了作品について、こうコメントしている。

「孤光」
夜道に佇む光を見たときに感じる、せつなさ、懐かしさ、さみしさ、こわさを表現したくて撮った。そのぽつんとした光が持つ魔力を最大限に引き出すような画で作品をまとめた。
(中略)
自分の境遇や気持ちすべてにつなげようとしたが、考えれば考えるほど分からなくて
(中略)
ふと、もう一度客観的に見てみようと思って考えたら、あ、私はただ、このすごく魅力的な光を再現したかった、私の目で見て切り取ったこの画面で世界をつくりたかっただけ、そこに自分の全ての気持ちを無理に入れなくてもよい、入れようとして悩まなくてよかった、と気づいた。
それが表現の世界ではどうなのか分からないけど、好きなものを全力で撮る、ただそれだけで何かを感じてもらうことはできる。

つまり、何を表現したいのか分からなくて悩んできたが、とにかくこの魅力的な光をそのまま再現するために全力で撮ったことに意義がある、というような意味である。

我ながらちょっと残念!

残念!しょーがない♪

当時の自分にとっての最大出力であり、確かに全力で行ったことは、たとえ個人的なことでも人の心を打つこともあるし、これはこれで見た人に感じさせる何かがあるかもしれない。
ただ、自分自身が完全に納得できておらず、考えることを放棄したような形である。

しかし当時の別のメモには、「そこにひとり佇むものに向き合った」とあった。夜道に佇む光を「ひとり」と呼んでいることから、モノではなく人間のように感じているようなコメントだ。このあたりに、表現を紐解くヒントがありそうだ。

パンダ直立(しゃきーん)
もう少し考える…

そんなわけで、写真表現大学の1年間の本科を修了した私は、友人と一緒に始めた音楽活動の方にシフトしていった。その後今の夫とも音楽活動を始め、音楽での表現がメインとなり、何を撮りたいのかもよく分からず、写真を撮ることからだんだん遠ざかっていった。

次は音楽表現よ!

そんなある日、今の夫が結婚前に私の当時の写真作品「孤光」を見て言った。

人も通らない真夜中の電灯は、誰の役に立っているか分からない。ただずっと一人で辺りを照らしている。そんな姿に、何の役に立っているのか分からないと悩んでいる自分を重ねたんやね。

そ、そうだったのか私~!

初めて納得したパンダさん

しょ、衝撃~!

なんでそんなことが分かってしまうのかしらっ!?

自分で言語化できなかったことを、今の夫はさらっと言語化してしまった。作詞作曲をする夫は、こういった洞察力や言語化がすごいのだ。

こうして夫に言われて初めて、私はなぜ夜道の街灯を撮りたかったのかを理解したのだった。それを、自分の頭で考えて言葉にして作品説明ができていれば、当時の作品はもう少し生きたかもしれない。

それな!

結局、それ以降も写真表現からは遠ざかり、音楽表現の試行錯誤が続いた。ただ、音楽表現についてたくさん考えて試行錯誤したおかげで、表現全般について考える力がついてきたように思う。

とことん考えて行動続けるって、大事!

パンダ張り切る(むん♩)
悩みまくるのだ!

一度は挫折した写真表現も、試行錯誤しながら撮り続けていれば、いつか自分も納得する作品ができるかもしれない。挫折した経験も悪くないし、他ジャンルの表現を経験しているのもいいに違いない。

ちなみにいま写真表現をするなら、観る人の力になるような作品にしたいな、と思う。

さぁ、写真表現を始めようか!

パンダ万歳(ら!)
気合だけは充分なパンダさん

そんなわけで、かつて挫折した写真表現を深掘りすることはとてもヒリヒリしたが、今だから分かる新たな発見もあり、なかなかに興味深かった。

今後のパンダさんに、
乞うご期待!

パンダ照れる(のへ♩)
照れるパンダさん

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